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美濃和紙、紙糸は松久永助紙店

松久永助紙店の歴史
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松久永助紙店の歴史(由来)

歴史
松久永助

創業者 二代目松久永助

弊店は、二代目松久永助が創業した和紙の卸店でございます。
二代目永助は、永助・タメの長男として岐阜市粟野に生まれました。幕末、旧上有知に出て今井家にて丁稚奉公し和紙業の修業を始め、明治9年(1876年)に障子紙の卸問屋・原料問屋として独立。美濃町内に店舗を構え、京都、大阪、江戸に販路を開拓いたしました。
掲載してあります肖像画は、当時永助が精進していた頃の姿を表しております。

二代目永助は事業を安定させ、弟の才次郎に原料問屋を譲り、和紙の卸業に専念いたします。同時に銀行の設立、電車の引き込みにも尽力。町政にも貢献いたしました。晩年は茶の湯の道に没頭し、大正初めに「洗翠庵」という別邸を設けて茶会を定期的に開き、仕事関係者や地域の方との交流の場を楽しんだといいます。

大福製紙(株)

三代目松久永助と機械すき和紙

三代目永助は父親の跡を継ぎ、昭和9年(1934年)に時代のニーズに対応した機械抄き和紙の製造を目指し、大福製紙(株)を設立。謄写版原紙や金糸銀糸の原紙などを手掛けました。
大蔵省印刷局の指定工場となり、昭和24年まで日銀券の紙料、日銀小切手用紙などを製造いたしました。戦後は特殊紙事業にシフト。電気絶縁紙やマスキングテープ原紙、紙糸原紙などを開発。幅広い市場に向けた高機能製品を展開しております。
三代目永助は戦時中皇族を疎開先として受け入れたり、戦後美濃町長に就任し町のために尽力。その功績を認められ藍綬褒章の叙勲を受けました。二代目と同じく茶道や謡曲をたしなんだといいます。

松久永助紙店

松久永助紙店の今

1941年に株式会社松久永助紙店となり、2001年松久豊太郎が4代目社長に就任。大福製紙とも連携し、伝統的な和紙を手掛けながら、医療用和紙や仕掛け花火に使われる和紙等も取り扱い、また最近では、カードケースや和紙の手提げ袋、和紙の糸で出来た和紙靴下和紙タオル等を販売、一部は海外でも好評いただいております。
「和紙を暮らしに。」をテーマに、より身近にお使いいただける商品を企画、ご提案してまいります。

明治期から使用していた建物は現在も残っており、紙蔵前の作業場を事務所と小売店として整え、ネットショップも開設。番頭台のお部屋はイベントなどの貸しスペースとしても使用頂いております。
お陰様で弊店は2026年に150年を迎えますが、創業以来、美濃和紙を一貫して手掛け、全国の多くの顧客の皆様に支えられて今日に到っております。

星松葉

永助の愛した「星松葉」

創業者は「雲上(くもじょう)」という屋号の他に、あるモチーフを大切に使っていました。それは5つの松葉を星のように組み合わせたマーク。今も「星松葉」と呼び大切にしています。「松久」の性に入っている松から取ったと思われます。鬼瓦や商標、昔の法被、手ぬぐい、また客間の襖の取っ手にもこのマークが使われており、いかに大切にしていたかをうかがわせます。

星松葉
星松葉